主体性の主張
人と話している中で、自分のこだわりが強く出ているなと思うことがある。それは主体的な行動を受動的だと勘違いされているとき。
そのときに自分は、それは違う、自分から起こした行動です、という部分を主張する癖がある。いつもとても気になってしまう。
自分の中では大きな違いだと思っている。気にならなければ『別にあなたの理解するようにすればいい』と受け流せる。
勘違いされることへの危機感
なぜ主体的か受動的かの違いに敏感なのだろう。それは自分の今までの経験がとても大きいと思う。
自分から行動し何かが変わった、結果が出たという経験。例えば16歳で初めてニュージーランドに行った時や、雑誌の記事を書いた時。
インタビュー記事と自分で記事を書くことは僕にとっては大きな違い。チームで海外に行くのと1人で海外に行くことも大きな違い。
好奇心や興味
主体的か受動的か。人の話を聞いていても無意識にそれを気にしながら話していることも多いと思う。自分で何か生み出している人かどうか。
自分からアクションを起こすと考えると何か大きなことをと思ってしまうが、今までを振り返ると主体的な行動をした時は好奇心や興味が大きかった。
『自分でやった、自分から起こした』この感覚に非常に敏感だなと。好奇心や興味に従った結果気づいたら主体的な行動に繋がっていたというのが今までの経験でした。