『会社でそういったサービスはしていない』
まず初めに、完全に自分の責任なので彼は何も間違っていないですと先に言っておきたい。その上でのお話。ヨーロッパでトイレにケータイを落としてからケータイが勝手にフリーズしてしまう。
それを復旧するには電源を新たに差し込むしかない。充電がないわけではないのでコンセントに刺せばすぐに復活する。日本に帰国してその日の目的地まであと少しというところで電源が落ちた。
モバイルバッテリーを持っていなかったので、駅員さんに『3秒だけコンセントに充電器を差し込むことは可能か?』とお願いしたところ『うちではそう言ったサービスはしていない』ということだった。
『君』が出来るかどうかと『組織に所属した君』が出来るかどうか
その後も色々試して結局断られたのだけど、彼の反応を見ていて『実際には出来るけども、それをやった時に責任が自分に降りかかるじゃないか』という雰囲気を感じた。
『会社としてそう言ったサービスはしていない』『ちょっとうちではできない』なんとなく責任の方向が『会社』や『うち』になっている。
だからこそ生まれる規律の正しさ、サービスの行き届き具合という日本が得意とする部分。全く悪い事ではないことは確実。
出来るけども、やらない事
コンビニでも試したが同じように断られた。それを得て『硬いな〜』と感じたが、同時に『日本に戻ってきた〜』という感覚もあった。
そして、世の中には『出来るけども、やらない事』というのが存在すると気づいた。そしてその範囲は自分が『1人の時の自分』か『組織にいるときの自分』で変わるのだろうと思った。
と色々と書いたが、さっき弟に『持っているMacを使って充電すればいいじゃん』と言われて自分の視野の狭さに改めて気付きました。