教える時に相手から奪っていること

2023.09.01

教えすぎる

『相手から何か大事なものを奪っている』と思うことが最近は少しある。極端にいうと全て教えてしまうそのプロセスは相手は面白いと思うのか?

教えてもらうと新しい感覚や言葉が出てくる。今の自分にはない感覚達。それを簡単に知ることで上達が早くなる可能性もある。

全て教えてもらうとそこに感動はあるのだろうかと少し疑問になる。逆にそんな感動なんていらないからと吹っ切ってしっまい、ロボットのようになることで強くなれるのか。

自分の感覚はあるのか

自分が1番スッキリするタイミングは自分の感覚が出来上がった後に答え合わせとして教えてもらったり気づいたりする時。その時の自分の感覚と洗練された感覚を比べれるのが好き。

大事だと思うのはこの『自分の感覚、理解』が出来上がっているかということ。これが純粋な自分の体の感覚。これがあると教えを受けた時の違和感の差やわからない部分が見えやすくなったりする。

ただ自分の感覚を手に入れる作業は簡単じゃない。シンプルに時間がかかるし自分の体で試すしかない。ただその過程で『自分の体を思い通りに動かす』という大事なステップを通過することになる。

言いたい衝動

自分がどんな環境にいるかによっても違うが、教えられることが多いと教えたい衝動がどうしてもある。ただそんな時に『その人が積み上げてる感覚を壊すかもしれない』と一旦立ち止まる。

その人は答えが欲しいのか、ただ話したい(壁打ち)のかが見極めれるとその人の大事な積み上げ中のものを壊さずに済む。答えが欲しい場合は壊すことは怖くない。

自分も答えが欲しいんじゃなくてただ聞いて欲しい(人に話すことで自分の中での理解が深まる)ときがある。そんな時に答えのような解決策を言われても何も面白くない。

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書いた人

勝野天欄

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